スポーツ学科・・・
スポーツを目指す学科ができたのは、そう遠い話ではないだろう。
多様な生徒の特質を生かす教育という趣旨であったはずだ。
そこには、学問というカテゴリーと少し違ったニュアンスがある。
だが、今はちがう。
運動は、健康で長生きという現代社会にとって一番大事な学びの対象となってきているし、みんなが自覚しはじめている。
だから、スポーツを目指す若者が増えてきているのも、当然だ。
だが、まだ古い頭の持ち主は、わたしも含めて誤解、勘違いを崩せていない。
現実は、そんな古い頭の大人たちをどんどん置いていく。
スポーツ能力とは、心身に大きなウェイトがあるから、食べ物の知識、そして環境問題、競技の場における国際的な見識、倫理感、学問・研究への飛躍もある。
からだを通して医療という部門にも深いかかわりを持つことは、重要な証拠である。
スポーツ学科を目指す若いひとたちの夢をもっともっと膨らませて、充実させる努力を大人たちは怠ってはいけない。
そんな意味で、大阪の市長さんの言動はどこかポピュリズム的である。間違っていることに気づいたら謝罪、変更・・・という哲学だけでは、ごまかせないものがこの世にはあることを学んでいるかどうか疑問だ。
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