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日本は自力で原発事故を阻止できなかったという事実

過信。

おごり。

実力がなかったのだ。実際の事故対応へのリスクマネジメントが欠落していた。

プライドのみのリスマネの見本、手本でしかなかった。多重の安全の裏側で、基本的なもの、たとえば立地の問題の解明などが、なされていなかった。

日本で一番とか世界的な原子力の権威とか・・・、そんな名目で原発が建設されてきたのだ。何もなければそれでいい・・・。しかし、新潟の柏原発で大きな事故には至らなかったものの同様の危惧があった。

でも、だれも気にしなかった。なぜならば、長年の権威主義による安全神話が徹底していたのだ。

多重な安全措置。ここに問題があったのだ。

施設を管理する主体者への信頼がまったくなかった。柔軟性のある対応がなかった。時の総理が原発をどの程度しっているのかということから考えると、ただ理工系の学び屋をでたということでしかない。

その道を究めるには、責任をもってプロとしてリスクを負って運営してきたその実績が必要なのだ。怒鳴るだけでは、なにも進まない。しゅんとしぼんでしまう。恐喝のような威嚇でもって技術者を罵倒する政治家は、政治的な判断で責任をもつとかいう言葉を弄していたのを想いだす。

でも、プロをちゃんと尊ぶことが一番なのだ。

人生という生涯をかけて、そこに飛び込んでいる技術者は、狭い範囲でのプロでしかないかもしれない。だが、原発の事故に関する知恵とその対応能力は、プロなのだ。

米軍の日本政府に対する対応能力懸念は、一般人からしてもすぐにわかるものだった。なんにもなかった。水素爆発という結果をもたらしたのはなぜだろうか。災害のときには、時間はないのだ。

日頃からの積み重ねが、不可欠なのだが、上述のような欠如がいっぱいあって、欠陥を暴露したのだ。

まだこれからずっと最終的な廃炉にむけてのプロセスが完遂するまで、地震発生の警報がなるたびに、こころは張り裂けんばかりになる。そんな不安がずっとまといついている。大丈夫だと・・・はだれも言えないのだ。

自力でどんな状況になっても、不安なく対処できる技術をどうしても確立していかなくてはならない。

多重に安全措置を取ろうとも、ひとつが破られると、一番もろい。だから、多重とは言えない。

自力で対処できるようになれるのか?

もし少しでもそこに不安要素があるなら・・・、ドイツのように原発ゼロの道を歩むしかないのだ。

ただ、新たなシェールガスのような埋蔵エネルギーが百年以上もあるといっても、百年程度でしかない・・・と、だれも言わないのが不思議だ。

そのあとは、やはり自然再生エネルギーと原子力とか新たな核エネルギーの利用を図っていかなければならないのだ・・・と知るべきだ。

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