病気と貧乏、そして青春・・・
どうもかけ離れた三つのジャンルのようだ。
病気と貧乏は切り離せないものだが、青春はどうだろうか。
意外とその縁は深いのではないか。
青春とは、病気でも貧乏でも、だれでも経験するし、またできるものだ。
どんな境遇でも、ひととして生まれて想うことは、青春というものを見つける楽しみではないのか。それはこころの中の現象なのだから、だれにでもできるのだ。ただ、病気で貧乏であると、青春ということばそのものを発することさえも贅沢なような気になってしまうこともある。
そんなことに遠慮する必要はない。
昔は、みんな貧乏で病気で早くに亡くなってしまったのだ。
だから、遠慮はいらない。
現実に病気で貧乏だとしても、青春時代にはへこたれないたくましさがあるのだ。
健やかに成長して、大人のからだを手に入れて、貧乏と戦うのだ。その武器は日々の労働意欲でいいのだ。貧乏なんて恐れるな。健やかに毎日はたらくことで、克服もできるのだ。
病気で貧乏だが、子供のころ青春を感じ取ったやつらは、きっと大きくなって、社会へと貢献することができるようになるのだ。
一つだけではないのだ。
選ぶ道はいっぱいある。
たったひとつの不幸で、おのれを終わらせてはいけない。そんなもったいないことを、社会はだまって見過ごしてしまうこともある。
それは、自分たちが健康で裕福であれば構わないという認識不足に原因があるのだ。
同じときに、ほんとうに貧しく、病気で苦しむひとたちが、いっぱいいることを、私たちは考える必要がある。
ひとのこころとからだを持つ身として、いろいろなことができる幸せをだれしも自覚していかなければもったいない・・・。
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