一年のながさと十年の時間と一生のながさの関係を想う
一応、一年が生活のパターンだ。
でも、これが雇われている時と、自営業の場合ではまったく異なる。
それも自由業という自営の場合は、とんでもないぐらい時間の使い方がちがう。
そして、すべては自分というひとりの人間の一生という中に納まるものでしかない。
十年あればたしかに赤ん坊が子供になり、さらなる十年を要するとりっぱな大人になることが可能だ。
大人の十年はあっというまだ。それが、三度とか四度とかつづくと、その大人は老人になる。
まあ、化けるというのが正しいかな。
そして、驚きは個人差というか、個体差が大きい。おまけの十年がひとつではなく、ふたつも三つもあったりするし、中にはよっつぐらいかそれ以上の場合もある。
だが、そのおわりを事前の十年単位で知ることは難しい。なぜならば、衰えとその終わりはすっとやってくるのだ。あたまの中のイメージは3歳の幼児だったりするも、外見はもう80、90の老人になっているかもしれない。
枯れる。
そんな木の古いような感覚になって、みんな生気というものが、空間と時間に吸い取られていくのだ。
時間と空間と、その時空をさまようひとのこころが、そこにはある。
それはひとの脳細胞のつくる神経回路の成果なのだということだ。だから、脳細胞の物理的な破壊は、わたしのこころをもぶっ壊していくことになる。
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