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スポーツマンシップ

運動神経の未発達な子供時代に、憧れは同級生のスポーツ万能な友達であった。

中学だったが、野球の名門校へと高校は進学していた。

一方、運動音痴のわたしは、到底かなわないことにはそうなりたいという現実味の帯びた妄想もなにも持てないということであったと記憶している。

運動会とかで走っている自分は速そうに感じて気分がよくても、比べればビリだった。

一番で気分良く走りたいとは思うものの、まあ無理だとすぐに納得していた。

ただ、スポーツマンシップというものには、敬意を表してみたいといつも思っていた。

オリンピックは参加することに意義がある・・・っていうクーベルタン男爵のことばは、こどもにはおおきなインパクトを与えるものだった。

だが、現実は大人になってしまうと、参加するだけでは意味がない・・・勝って金メダルを手にしないといけないと、世間のみるスポーツマンシップに長けた選手へのプレッシャーへと変化している。

マラソンはとくにだらしない日本勢とかいわれて、なんとなく「参加するだけではだめなのか?」となってしまう。

もう一度想いだそう。

運動音痴の応援団は、オリンピックへと選ばれる選手たちのすごさを、もう一度かみしめてみよう。

ほかの国の選手も、日本の地方のチャンピオン程度のところも、やはり参加してくることに意義があるのだ。

スポーツマンシップは、運動音痴の私にも十二分に理解できる。

なぜ、一流の高校の運動部のそれもりっぱな指導者が、そのスポーツを愛するということに対して、畏敬の念を払わないのだろうか。

同じスポーツを愛する部員は自分の教え子であろう。

スポーツの意義を履き違えてしまったのだろうか・・・。それとも教師とか指導者とかいうものを見誤ってしまったのだろうか。

学校の部活の主役は生徒や学生たちなのだっていうことを、みんな忘れているのではないか。

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