だれもが知っているもの
だれもが知っている。
差別するときの何というか、バツの悪さを・・・。
そして、差別される側になると、なんでそんなことで・・・ということになる。
どんなことでもその対象になってしまう。
差別されることを「被差別」という。
体調がおかしい・・・。それだけで差別されてしまうこともある。あのひと、カゼを引いているらしい・・・、非常識なひとだ・・・。
そんな風評が噂がとびかいそうだ。
疾患になると、それはとても大変だ。組織的な偏見とやらがいつまでもなくなりはしない。
悪い噂を立てられたくない・・・。切実な風評被害の問題がある。
だれしもそうなのだ。
被曝したら、そこで放射能被害の影響・・・はどうなのか?・・・となる。病気も同じだ。そこで噂があり、被差別という感覚がすぐにでてくる。
とても嫌な気分である。そこで勇気をだして・・・といっても、難しい。こころはしぼむ。
だれもが知っているものなのに・・・なぜ、いつまでも理解されないのか。
ひとは汚いものにふたをする・・・ってことを、避けて通れないのかもしれない。
差別は差別を生み、被差別は多くの被害者を生むことになるって、だれでも知っているのに・・・。なにもできない・・・。
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