最近のトラックバック

« 米国の動き | トップページ | ナショナリズムと倫理 »

だれもが知っているもの

だれもが知っている。

差別するときの何というか、バツの悪さを・・・。

そして、差別される側になると、なんでそんなことで・・・ということになる。

どんなことでもその対象になってしまう。

差別されることを「被差別」という。

体調がおかしい・・・。それだけで差別されてしまうこともある。あのひと、カゼを引いているらしい・・・、非常識なひとだ・・・。

そんな風評が噂がとびかいそうだ。

疾患になると、それはとても大変だ。組織的な偏見とやらがいつまでもなくなりはしない。

悪い噂を立てられたくない・・・。切実な風評被害の問題がある。

だれしもそうなのだ。

被曝したら、そこで放射能被害の影響・・・はどうなのか?・・・となる。病気も同じだ。そこで噂があり、被差別という感覚がすぐにでてくる。

とても嫌な気分である。そこで勇気をだして・・・といっても、難しい。こころはしぼむ。

だれもが知っているものなのに・・・なぜ、いつまでも理解されないのか。

ひとは汚いものにふたをする・・・ってことを、避けて通れないのかもしれない。

差別は差別を生み、被差別は多くの被害者を生むことになるって、だれでも知っているのに・・・。なにもできない・・・。

« 米国の動き | トップページ | ナショナリズムと倫理 »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: だれもが知っているもの:

« 米国の動き | トップページ | ナショナリズムと倫理 »

2024年6月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
無料ブログはココログ