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老年社会学というものがあるらしい・・・

いじめの問題が社会をにぎわす。

昔はあって当たり前のものだと認識している。

だから、ナイフなんかをもっていたりもした。いわゆるドスというやつだ。

高下駄をはいて、小学生が闊歩していた。

中学生はもうりっぱな大人に見えた。

だって、学校をでたら、もう就職するのが当たり前なんだから・・・。

集団就職列車があった。

戦後の団塊世代のひとりとしては、いつも大勢の中のひとりであった。

小学校も、中学も、そして高校も大学も社会でも、いつも競争のさなかにあった。いくらやってもそこからは這いあがれないという強迫観念の中で、いつしか、一番悪いところには絶対にならない・・・という確信になっていった。

いや、ほんとうはなれないってことなんだということだ。

一番うえもしたも、それは特別な存在なのだ。たぶん、その裏でつながっているようなものだろうと・・・想ったのだ。

いままた、老年社会学という大きな問題を抱えた分野が注目されているらしい。

たしかに団塊の世代の労働者は、ほとんどが会社や工場で一日を過ごすので、何年もその外を見ていないのだ。

地域の活動もよくしらない。

そんな人生を送って退職して時間ができると、最初はこんなことがあるのかと・・・、ほとんどはじめて見る地域社会に驚嘆する。

しかし、そこに入り込むには、あまりに知らなすぎる。だから、受け入れてもらわない方がいいとこころをかたくなにする。

そんな状況を改革していくには、大きな覚悟がいる。

でも、実に簡単なことだ。

すべてを捨てるのだ。新たにスタートするには、大きな広い世界がある。それは地域という社会である。そこで、新たに出発するのだ。すべてが新鮮に違いない。かつてのおのれの姿も見えるに違いない。

ああやって仕事していたんだ・・・って想うだろう。

いろいろと社会活動をしているひとが大勢いることも知ることができる。

いつも、なにかのグループで仲間がいてにこやかにしているひとたちが一杯いるのだ。地域社会とは、そういうもののようだ。

さあ、そろそろ探検にでもいくことにするか・・・。

幼稚な大人という老齢者のひとりになっても、こころは幼子のままでいいのだ・・・。肩肘はる必要はない・・・。リラックスする・・・ことだ。

だが、こどもたちとおなじように、車やひとには気をつけよう・・・。

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