あの津波をビデオでみた・・・
もう忘れそうだった。
あおの津波の恐ろしさを・・・だ。
まだ、苦しんでいる人たちがいるのに、もう忘れるなんてどういう神経の持ち主なんだ。
ボランティアといっても、そこに行くにはいろいろと制約もある。
なかなか難しい。
結局、自分たちでなんとかするしかない・・・。そう被災者は感じているのではないか。でも、なにか出来そうでなにもできない。
個人のちからというものは、そういうものだ。
もしも、ひとりでなんかできるかもしれないという財力をもっていても、それはほんの雀の涙でしかない。億万長者という呼び方は単位を間違えてしまうほどのお金持ちではないらしい・・・。でも、それでもいくらひとりが儲けたとしても、それは国家といあ地域とか世界とかいうことになると、なんもできないレベルなのだ。
ひとりひとりが自給自足できる自然環境があり、社会秩序がそういう仕組みになっているなら、それが一番である。人々は、日々の暮らしに必要な分を自然から取り込み、分かち合う。
だが、今の社会は違う。
みんなわがもの顔で独り占めをしようとしているのだ。それが、仕組みなのだ。
あの津波をみて、みんな想った。すべてが波に飲み込まれていく惨状をただ見るしかなかったのだ。漁船も貨物船も、新築の家屋も古い土蔵もみんなやられてしまう。
その津波の前にあるひとつのルールは高さだった。あんな恐ろしいほどの津波も、高い丘には登れない。川とか道路とかをたどって、襲いかかるしかないということだ。
だから、当たり前の高さと、津波の通り道をあらかじめしっていれば・・・、って想うのだ。
あの津波をビデオで検証してみよう。
もうすぐ3.11が来る・・・。
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