非道を難じること・・・
いやはや本当に困難だ。
非道をどう無くすか。
非道とは何かという定義から始める必要がある。
正義の味方がいつもいる。第三者という立場がそうだ。
それでも第三者が当事者となると、そこで同じ被告という立場に置かれてしまう。
なんとも世の中は正義に満ちているかと感心する。それは、悪があるから、それだけ正義があるということなのだ。
全柔連の「悪」と言われる部分は、日本相撲協会の第三者で審議してはどうだろうか。絶対にうまくいくはずだ。当事者でなければ、そこには客観性のある解決策がでてくるからだ。
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