おのれをわすれること・・・
いつもいつも、自分のことは、頭から離れないだろう。だって、自分自身なのだから、当たり前だっていうのだろう。
でも、ほんとうは違う。
おれたちは、自分のことなんて、ほとんど考えたり、頭の中でどうしようとかこうしようとか多様な方向性を考えたりしないのだ。
だって、それでは生きていけないのだからだ。
こんななにもできない自分を偽って、不満だらけの日々の行動をなんと説明するのか。そんなこことはできない。だから、そこでスイッチを切るのだ。これは意図的ではない。本能的なものだ。
だいたい、ひとは生きるのに自我を必要とするのだろうか。
一般大衆の中のひとつの生き物としての生き方、行動でいいのではないのか。
そこで不安に感じたり、道徳観を想ったり、親孝行とか親切にしたり、社会のために貢献しようとか、いろいろなことを考える必要はないのではないか。もしあったとしても、そこに自我という自分の存在をことさら加味して強調する必要はない。
おのれを忘れる・・・というのもおかしい。
だって、ほとんど忘れているからだ。
ときどき思い出すのは、好きなこがいて、そんなところで恥をかきたくないなんていう状況だろうか。
ああ、また、恥をかいてしまった。
どうせ・・・。わすれているのだから・・・。
そんな失敗の生活を続けていると、いつの間にか「自我を忘れる達人」になっているようでもある。恥のかきかたは自然の本能まかせなのだってことか。
でも、ここ一番ではそうしたくない。
そう想うと、自然に不安が増す。そこには必ず「自我」がでてきている。
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