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公聴会というもの

胡散臭い話だ。

原発建設の公聴会の実態はどうだったのか。そんなことは百も承知だ。

みんな出席者や発言者は決まっている。ほとんどが動員なのだ。

電力会社の社員、その家族、地元の行政の関係者、NPO法人も利害関係組織から寄付をいただいているなら、その類から脱することはできない。

結局、みんなやらせだってことか。

いやはや、公聴会とかいう集まり自体が目的をもっているから、その主旨にそぐわない意見を踏みにじるためのものでもあるのだ。

社会の仕組みをどうするかが、やはり一番の課題だ。

そこをないがしろにして、善し悪しを論じること自体が、おかしいのだ。

最近のはやりは「第三者委員会」だ。

公聴会と第三者委員会は、同じような発想のものではないか。

そこにも、地盤・看板・鞄がないと、おもう結論は得られないということだ。

自由ということは、時間がかかる。問題の解決ではなく、混乱を引き起こす元になる。それでも、なんとなく誘惑がある。

決められる社会とか政治は、なんだろうか。

我慢する社会、従属する民ということだろうか。

無知な住民、バカな国民を培養することが、国家の目的かもなんていう疑問も浮かんでくる。

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