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主権在民の意味

一票の重みを学校で教わったよね。

みんな「うん、そうだな」って思ったよなぁ。

でも、ちがうんだそうだ。

田舎と都会ではちがうんだそうだ。

物価みたいに土地によって価値が変化するということだろうか。

そりゃ、いっぱいいるとそれだけ、選ばれやすいだろうから、都会の先生方は有利ではないのか。

いや、田舎の先生の方が親しみやすくっていいはずだが、どうだろうか。

純粋なこころはどっちが、いいのだろうかなんていう議論はつまらない。

政治家の先生たちは、地盤看板鞄というものをもっていて、みんな育ちは都会のぼっちゃまなんだってことだ。地盤は、選挙の道具であり、商売道具の一つだってことなんだ。

主権在民とは、地盤に暮らす民という意味だろうが、所詮は「民の権利は主人にあり」ってことかもしれない。

先生方の権利のために、民がいるってことらしいのだ。

ひとの顔はすべて「票」だから、人口は「人数」ではなく「票」で数えるのだということらしい。

ひとは、道具だってことらしい。

三つ子の魂、百までだから、そんなことは民は知らないのだ。

やっぱり主権在民なのだから、学校で学んだ「一票」の重みを知らせてやることができるのは、その一票そのものなのだ。

田舎の一票も都会の一票もみんな同じなのだ。実在する人間の一票なのだ。帳簿上のとか、戸籍上で消えているかもしれない一票ではないのだ。

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