後見人制度の矛盾
正しい選挙ができなくなる可能性がある。
そんな主張が行政側からでている。
おかしい。
後見人制度そのものが、当人の権利を守るためにあるのであって、ひとりの人としての権利を制限するためにあるのではない・・・と、考えるのが当然であろう。
多数を占める側の専制が、この社会を牛耳っている。
謙虚さが見えなくなった。
ごり押しのできないことが、弱虫と見下される。
議論する政党が、決断できない集まりと揶揄される。
批判はいいだろうが、政権を半世紀ぶりの奪還した野党の政治家が、準備不足だというのは当然のことであり、そんな時に超のつく大きな自然災害が、そしてそれに伴う原発事故が起きたのは、日常のことなのだ・・・。
いつどこでもどんなことでも起きうるという現実を私たちは自覚していなければならない。
後見人制度とは、まるで今の日本の置かれた立場のようではないか。
隣国に米国なしには何もできないと揶揄されて、敗戦国とののしられている姿はなんとも情けないものだ。
後見人制度も米国との安保体制も、そこに独自の守るべき主体があるということを、私たちは見逃してはいけない。
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