こころを育む環境
環境が大事だ。
空間、時間、ひとがいる環境がある。
どこでもひとと接するのが、ひとの生活そのものであり、生きることでもある。
しかし、世の中には生まれつきひとと交わるのが嫌悪される傾向があるようだ。
そんなとき、仕方のないものとして受け入れるしかない。
ただ、生まれてきたときに欠落しているとか、途中で刺激をうけて希薄になって効力がなくなるなんていうこともある。
みんな病的なこととして片づけられる。
だが、自分がなると、これは一大事だ。
すべてを失う。
しかし、みんなそうなのだ。どんなに頑丈な心身を与えられても、それで満足しているとは限らない。
そこにひとは家族という年齢構成の異なる集団を組織して、若者を導く環境を築いてきたのだ。
こころをはぐくんでいくには、おのれの育った環境が唯一の参考である。
だが、一度その時空間環境を超えると、すぐに消え去るものでもある。
だから、自我に目覚めること、正しく自我を認識することが大切になる。
だが、自我がいたずらに何かを恐れてしまうこともある。
それは、自我という他者なのかもしれない。
自分を他者に重ね合わせることで想像するのが、ひとの帰納的な考え方である。いろいろなことを知識として集めて、そこから何かを抽出するという作業が営々と続けられても、ひとは学び足りないようだ。
現実をみると、すべての英知がどこかへ吹っ飛んでしまうようだ。
それが、ひとなのかもしれない。
大昔、遠くの惑星からやってきたことを、だれも覚えてはいないのだから・・・。
こころをはぐくんでいけば、そんな昔の話がよみがえるかもしれない。
あんたは、あの時のブラックホールで救助されたお方か・・・?なんて。
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