うわべを変えても中身は同じ・・・
心理的な部分を重要視するなら、うわべを変えることで、多少の改善は可能かもしれない。
でも、なかみは同じだ。
変わりはしない。
それでも、なんとかこのなかみの乏しさを隠すことで、ちがうように見せることで、ごまかせるかもしれない・・・。
そして、そのうち、自分自身がごまかされていたりするかもしれない。
それで間違って、なかみまで変わってぐっとよくなってしまったりするかもしれない。
いや、現実にあることではないか。
とにかくやってみろ・・・ってよくいうではないか。
勉強嫌いが、とにかくがむしゃらにやってみたら、面白くなって、なんで嫌いだったのかを不思議に想うなんていう構図だ。
ありそうでない・・・。
そんなところだろうか。
おれなんか、どうせおれなんか・・・。そうなって、もとのもくあみだってことが、おちだ。
どうせ・・・。
どうせ、そんなもんでしかない・・・。おれなんか・・・。
なかみは同じだ。
でも、その中身そのものが、そう捨てたもんではないってことに気付かない愚かさもある。そこに気がつけばいいだけのことだ。
お前の中身はすごいってことを、お前はいつも謙遜なのか、自信の過剰なのか、よくわからないところでぐずぐずしているのではないか。
みんな、すごいものをほんとうはもっているのだってことさ・・・。あきらめるな。
« チェルノブイリとは問題にならないシビアな影響が・・・ | トップページ | AKB48ももう古臭いという感覚かな・・・ »
「心と体」カテゴリの記事
- 分かり易い文章(2019.02.09)
- 片べりの靴の教えてくれるもの(2019.02.04)
- 年齢に比例するもの・・・(2019.02.02)
- 散歩仲間?(2019.01.07)
- 本音と建て前(2018.11.19)
この記事へのコメントは終了しました。
« チェルノブイリとは問題にならないシビアな影響が・・・ | トップページ | AKB48ももう古臭いという感覚かな・・・ »
コメント