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乏しいもの、それは国際感覚だと・・・

国際都市、大阪。

その首長さん、国際感覚がとぼしいとの反省の弁だ。

にほんじんに国際感覚といったって、乏しいのは当たり前だからと、気休めをいうつもりもない。

批判ばかりしていると、おのれが批判されるときに、かっとなってしまうのではないのか。

男女の差のない社会、男女同権の時代、ジェンダーという取り組みの今の世の中でなんということなのだろうか。

世界に取り残されるのが当たり前のようだ。

東アジアの歴史をみよう。

海から見た歴史(羽田正編、東大出版会)がいいだろう。

東アジア海域にこぎ出す1・・・というサブタイトルがある。

そこでは、列強と、琉球と日本、薩摩、対馬などがベトナム、アユタカ、フィリピン、ジャワなどとインドとか欧米諸国との交易で切磋琢磨していた時代がある。

貢物をさし出すことで、交易をしていた。

日本は、朝鮮半島、蒙古、中華との間でいろいろとやってきた歴史があるのだ。

だが、島国では一部の開かれた港、交易港を除いては、国際感覚とは無縁だったのだ。

乏しいのは今も同じだ。

独立といっても、属国のようではないか。

核の傘を拝借しているから、核の廃絶にも使用にも、反対はできないという苦しい立場だ。属国の分際で、独立国家というなら、ちゃんちゃらおかしい・・・という卑下もある。

国際感覚というものは、その国の文化の中に先祖代々、詰まっていることを忘れてはならない。

やおよろづの神は、世界の神々とおなじなのだ・・・って想わないのだろうか。

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