過去の栄光に浸る日々とは・・・
赤ちゃんで生まれて、こどもになって、大人になる。
働く、結婚して、子供らが周りにいるようになり、親たちがこの世をさる。
こどもらが大きくなり、老いる。
過去の栄光はだれにもある。
日々、よくやったと想う。辛い仕事、単調な仕事、職場での嫌なことやうれしかったこと・・・などなど・・・。そんな日々がある。
つらい・・・。
なんで辛いのか。
まだまだやれるのに、やれない。
なんでやれない。
若いひとに仕事がないから・・・、そんな屁理屈もある。本音はもう疲れたということだろう。辛い日々の単調な仕事はなんのためだったのか。
やめたら、自由に生きよう。でも、そうではない。
仲間で志半ばであの世にいってしまった友もいる。どうしてもっと生きていなかったのか。
今は昔だ。
過去の栄光なんて俺にはないが、今まで生きていることに対してはある種の感慨はあるのだ。だれでもそうだ。日本の総理になったとしても、どうなのか。同年代だが、まったく違う世界なのだろうか。
過去の栄光にひたっているのだろうか。
つらいだろうな・・・。そんなことを想う。
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