あたり障らずではだめ・・・
自立する。
自覚する。
そして、他者を信用する。
裏切られる。
そして、相手の信頼を強制はしない。
そして、また裏切られる。
つまり、敵対だけではだめなのだ。つまり、対立だけではだめなのだ。
そして、見下ろすだけでもだめだ。
子供の喧嘩も、大人のケンカもそれは相手があり、そこに力の差があることにおいても同じものだ。必死になってそこに立ち向かうという姿勢が大事だ。
あたりさわらずではだめだ。
肉をきらせて骨をきるという覚悟だろうか。
できれば、切りたくはないし、切られたくもない。
でも、その覚悟はしておくことだ。
場合によっては帰らぬと大好きなひとに言い残すことも必要かもしれない。
拉致問題では、いつもこんなことを想う。
こと人権問題でも親子の切り裂かれた生活というものが、権力によって行われたものなら、それはしっかりと政権の責任で取り戻すことはあたりまえのことだ。
どんな理由があるにせよ、他国の民を拉致するのは、許されない。だが、やってしまったことは、反省と後悔があるのだから、もとへもどすことが権力をもつひとの責任である。
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