沖縄、自決から68年に想う
もう68年だという。
本土より先に沖縄で悲しいできごとがあったのだ。
児童たちはこんなメッセージを寄せた・・・
「戦争のない平和な世界を目指していきたい」・・・と。
また、当時、司令部壕内での司令官の海軍大臣あての電報には・・・こうあったらしい・・・
「沖縄県民かく戦えり、県民に対し後世特別のご高配を賜らんことを」・・・と。
だれが何のために戦って死んでいったのか?
そこに祖国へのいつくしみがあったという以外、どこのだれにも憎しみとか、嫌味なんていうものはこれっぽっちも感じないのが、日本人として誇らしい。
この誇りも、隣人たる諸外国からは、排除せよと命じられるのだろうか。屈辱をからだじゅうに受けて狂死せよという論理に、だれが従うだろうか。そういうことをほんとうに想っているわけはない・・・。甘っちょろい日本人が、ここにもいる。それが私の場合、両親の願っているこどもの姿そのものだと信じている・・・。
想いは、それでも、無念だ・・・。そして悔しい・・・。
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