こどもに貴賎のこころはない
すくなくとも、こどもには貴賎の差はない。
みんな同じだ。
日本の教育のいいところは、みんな同じということだ。
だが、じつは差があったのだ。
教育は公共のものというのがあたりまえだと思っていた私は、幼児教育から英才コースがあることを知らなかった。
おとなになっても、やはりいい指導者に巡り合うことで人生は変わることを知った。
いつも、私たちは指導者を求めて生きているのではないか。
いいひとがいることを知らないままで、この人生を終わるのは、悲しいことだ。
反面教師ということもあるが、それも基本は同じだ。
いつごろから、貴賎というものがこころに出始めるのだろうか。
私たちがそう想うことはない。
だから、きっと差をつけたいと想っているひとたちが、無理やりに植え込むのだろうか。
どんな意義があるのか。
こどもが大きく成長するには、やはり基本的なものがそのインフラになるのだ・・・。
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