自ら考え気付くことの大切さを教え、学ぶこと
なんでも規則あり。
権力の怠慢という批難をかわすために公権力は、規則をつくる。規制することで責任を回避する。公権力とは役人の教えであろうか。
それではいつまでも、役人のお世話になるばかりというか、役人に制御されることになる。わが意思で戦うならいいだろうが、規則で戦場へと向かうのはかなわない気がする。納得できない。
あたりまえのことを、あたりまえにできる。
そんな社会は、きっとあるはずだ・・・。
嫌うと相手も嫌う。
好きだと相手もすてきだと想う。
ときに自己欺瞞のこともあるが、たいがいは当てはまるはずだ。
すくなくともおのれの意思を第一にすることだ。それがスタートだ。そして最短だ。
嫌うことからのスタートでは、プロセスが不安定であり、かつゴールは見えないばかりだ。好きになることだ。そして、すきだということだ。仲間だと、友達だということだ。
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