民主政権の幻想と、アベノミクスは同じか?
私たちは、なにを想って政権交代に動いたのか?
もちろん、個としては全体を動かすちからはない。
だが、確実に動いた。
なぜだ。どうしてだっただろうか。
想いだしてみよう。私はテレビで自民政権の総理退陣の説明を聞いていたし、映像を見ていた。
そこで強く感じたのは、身内の一番ちかい存在の閣僚のなんともちからのない様子だったように想う。
モウダメダ・・・。コレデハダメダ・オワリダ。
そう伝わってきた。
だから、政権交代に投じた。
期待というよりは、ここはノーだな。
前代未聞の政権交代で仕方がないな・・・。
そういう想いだった。
社会全体がそういう流れになったようだった。恐いと言えば恐い。でも、そんな反作用が働くことは小中で反作用として学んでいることだし、一党独裁でない政治システムはそのためのものだ。少数意見の尊重なんていうことでは、世の中は動かない。
やはり多数を動かして、政権を握ることで実権となるってことだ。
アベノミクスはどうだろうか。
株価の一喜一憂。為替の変動で、ふらふら。
そうではなく、堅実な財政を実現することだ。
実業で、モノづくりでどうするかだ。
資源はある。人材もある。ないものはない。
ただ、そこに浮ついたことを優先する経済大国たりたいというバブルに向けた短期的なギャンブルを好むひとたちに踊らされる雰囲気があることが、なんとも煩わしい。
健全な財政に健全な国民が存在できる環境がある。逆もまた真なりである。健全な国民なしで財政再建なし・・・ってことだろう。
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