男らしい・・・とも、女らしい・・・とも言えない日韓関係とは?
どこに原因があるのか。
もっと男らしく生きろ・・・と怒鳴られれば、昔はある種の奮闘と問題の解決に動いていたのではないだろうか。
でも、この日韓関係では、この言葉は本来の意味に戻す必要がある。
もっと女らしく熟慮してくれ・・・と、懇願されたらどうするだろうか。
あんたこそ男らしくすべきだ。そういう言葉がつき返されるだけかもしれない。
だが、それらすべてが間違っている。
責任ある政治家らしくもない・・・ということだ。政治家としての責任は男女に関係ないことだ。日韓関係は、責任ある政治家たちがきっと解決する・・・という意識でなければ、だめだ。
協定や条約は破棄、約束はほご、相手を侮辱することで、ワルがきになるという構図は、これからの国際社会では通用しない。
そんな手本が過去にあった。
しかし、反省することなしにそれを師と敬うような軽率な行動に出て、威嚇し、報復し、隠匿して悪を働くことが横行している。
大人の対応?という、対話路線をせせら笑い、宇宙のゴミにすると息巻く。
東アジアの安定とは、いびつな姿のままではなしえないことだ。
そういういびつな地域の現状で、日韓関係はひずみを受けてぎくしゃくしているのだ。
韓国らしくでも日本らしくでもなく、国際社会の一員としての責任ある国家として、どう対応していくのか。分裂は、最善か。嫌悪は成果をあげるとだれがいうのか。
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