何もせんことは加担となるのか?
どっちでもない。
必ずある選択肢だ。
だが、これは現状容認と受け取られるらしい。
繊細なことには、時間という解決策しかないことが多い。
だから、ひとはわかっているけれども、この選択肢を求める。
それは、それしかないという事情によるものだ。
どこに加担するとかいうような如何わしいものでないし、怪しいことでもない。
こころを開放するというか、最善の選択をするとなると、これしかない。
「なんもせん」というのは、時に苦渋の満ちた最良のことでもある。
だから、加担ではない。
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