原発再稼働は「行きどまり通路」ではないのか?
子ども世代への重荷を残すことで、日本は世界で大きくなっているだけかもしれない。
とくにそのコメである電力は、そうではないか。
化石燃料での公害から、きれいな原子力というイメージで実はちがっていたのだ。
有名なスターを巻き込み、「私は必要だと想います・・・」というCMは、今はもうない。
だって、行きどまりなのだ。原子力のゴミはどこにも捨て場がないのだ。
宇宙に捨てるのは、一昔前の廃棄物の海洋投棄と同じである。
いつか、また戻ってくるブーメランのような大きな問題だ。
そこに解決策はあるのか。
無毒化という技術の可能性はあるらしい。
だが、当面は事故の収束のための技術開発が急がれる。
行きどまりを打破する技術が、今必要なのだ・・・。
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