ものを書くひとになるには・・・
回復は難しい。
そんな状況の中で、身体が元通りに動かせないなら、モノカキになる。
あきらめの気持ちの中で、私はそう決めていた。覚悟すると、運命は如何にもあまのじゃくである。元通りというか、ほぼ回復した。
でも、おっかなびっくりだ。
だけれども、今、モノカキにはなっていない。ということは、うまく回復したのだ。
でも、もうひとつの選択肢を実践していない。なんとか、ものを書く人になりたいと・・・、今、想うのだが、それは贅沢というものかもしれない。
ものを書くことは、ほかの可能性をすべて拒否されてはじめてできることかもしれない。それはエネルギー消費という誤った考えではなく、身体に負担をかけないだろう、決まった日々のスケジュールに沿わなくてもその時の身体の健康状況に応じて動ける自由さが多少はあるということでしかない。
脳みそを使うことは、かなり疲れる。負担になる。でも、もし身体的にきついなら、それは選択肢になりえないというかもしれない。きついのはそれは脳みそも身体も同じだと私はちゃんと理解している。
なぜそう・・・選択した、いやその時覚悟したかというと・・・、それは足りない部分を補うという仕組みが人間にはあると確信していたからだ。
これしかない。そうひとは想ったら、そこに集中するしかないのだ。いろいろな才能があり、陸上も水泳などの競技も、短距離も長距離もできるひとであっても、すべてを選べるわけではないのだ。
貧しいから、少ないお金を必要な分だけ大事に使うことを知っているのだ。それで、ものを書くひとになりたいと私は想うのだが、どうすべきか迷うのだ。
まだほかにもできること、やりたいことがあるのだ・・・。まだ枯れてはいないということだろうか。まだ芽がでるだろうか・・・。
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