拘わらなければ路傍の石
なんらかのきっかけで拘わることがなかったなら、お互いに路傍の石だったはずだ。
この世界には60億というひとがいて、その中で知り合いというと、どんなに多いひとでもどうだろうか。数万人というところだろうか。
記憶に耐えるのは数100人ということではないか。
路傍の石でも、そこには意思がある。
社会の意思に反映するひとのこころがある。お互いに路傍の石で知らぬ中でも、社会の媒体と流行とかイメージを通して、その共有しているものは理解できるはずだ。
でも、やはり路傍の石だ。
気にしなければ、ただの空気のようなものかもしれない。
拘わりをもつというのは大切だし、厄介でもある。
« カイヤドリウミグモ | トップページ | こらえどころ; MLB松坂投手 »
「芸能・アイドル」カテゴリの記事
- ひとにはなにかとりえがあるというが・・・(2019.01.07)
- 赤穂47士、なんとか48、おニャン子・・・(2018.11.13)
- ニジマスもサケ(2018.08.17)
- 被災者ケア(2018.08.08)
- ガラスの天井(2018.08.03)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント