いのちは消えるもの・・・
こうひとことでいうと、なにかさみしい。
ひとは、不治の病にかかれば、死ぬ。
でも、生存率は80%だと言われれば希望を持ちたくなる。
そして、いや悪化して40%だとなると、はたと気持ちが揺らぐ。
やはり、いのちは消えるものだと想ってもなお、そこにとどまりたい。できるならハッピーエンドの顛末になってもらいたい。そう願うことは、いつも同じだ。
だが、あきらめながら、あきらめない・・・。
あきらめることは、あきらめないためのひとつの方便である。いや、それ以外にない。いつか、そういう気持ちでいれば、いつか・・・、いつかきっと快方に向かい全快する。
でも、それでもいのちは消えるものだ。
なんどもそういう経緯を体験しても、やはりいつかはいのちは消えるものなのだ。
そんないのちをもつひとの一人として、あきらめつつあきらめないことは、だれでもできることだ。
そのいのちが消えるそのひ、その瞬間まで・・・、そうするだけでいいのだ。だって、いのちは消えるものなのだから、それでいいのだ。
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