周囲の気付きが大切・・・
仕事に行き詰まる。
このこと自体が、勤め人にとっては許せないのだ。
だから、他者が何を言おうが、おのれのできるかぎりをつくすことは常識である。
昨今、定時に終業ということが多く聞かれる。
だが、それでいいのか。
どうも、その辺がうわべでわかるか・・・という、大多数の意見のように想う。
ガス抜きはそのひとそれぞれで異なる。
常識は非常識以外のなにものでもない。これは、みんな同じではないという根拠である。
だから、自分たちの常識が、あるところではそうはならないのだ。
どこがどうなのか気付くこと、すくなくともうつにならないように、身体的な変化や心理的な変化がでるには、その前に行動が影響を出す。サインがある。
自分のケースでも、そうだ。
どうも嫌だな仕事場にいきたくない・・・。今日はずる休み・・・というのではなく、なんとなく嫌な気になるときがある。
それは職場の同僚や仲間の顔をみるのが嫌だったり、異性の視線が嫌味になっているとかいうことにも現れる気がする。
気にしない奴はそうだ。いじめを楽しみにして職場にいるものもいる。
いびつだな・・・。そうなのだ。
そういういびつさ、愚かさをしっかりと現実のものだと認識することが第一だ。
あんなやつにシカトされたり、偉そうに命令されたり・・・。そんなことを考えると反撃も面倒になり、職場で顔を合わせるのが嫌になる・・・。
そんなのはしょっちゅうなら、これはどうも兆候とは言えなさそうだ。
気付きとは、周囲に目を配り、なにがどうなるという予測をしてみることだろう。
こうしたらこうなる。あいつがかれらにああいう態度をとれば、そうなるだろう・・・。
そんな簡単なシミュレーションでいいのだ。
そこに気付きがある。
だが、精神的なものは難しい・・・。身内であれば、もうお手上げだ。
職場も一般社会にいるひとと比べれば、ちゃんとした身内だ。だから、難しいのだ。
だから、そこに第三者としてのかかわり方があるし、大事な活動になる。
そう考える・・・。
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