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一気に老いる団塊の世代・・・に想う

数はパワーでもある。

だが、その役割が終われば、粗大ごみのように扱われることもある。

ほんとうにそうだろうか。

社会のお荷物などとも言われるこの頃である。一方、応分の社会的な負担をすべきだという主張もある。

もちろん、それは正しい。

だが、寿命は一様ではないし、健康もみんな同じではない。

ただ、世代のグループとしてみると、それはまるで生き物のように、若いときには社会を混乱に陥れたりしてきた。そして、中核の年頃には、社会の原動力として働いてもきたのだ。

そして、今、一気に駆け下りるような人生の坂道にきている。別に迷い込んだわけではないし、生まれたときからわかっていることである。

いまさらどうのこうのいうものでないが、やはり日本社会の年齢構成から4分の1が65歳以上だというなら、応分の負担をしていかなければならない。そのための社会的な健康管理も成長しているならば、決して妄想ではないはずだ。

ただ、社会活動のボランティアにしても、そのほかの一般的なイメージは、老人というリスクをもった不良債権のようなものでしかない。

いつも同じ世代がぎゅうぎゅうつまった社会を通り抜けてきたのだが、第二次大戦の影響ということでかたずけられてしまうのだろうか。

日本に住む大衆の一部として、やはりそこに労働戦略の一環としての「一気に老いる団塊の世代」のひとびとの使い方があっていいのではないか。

健康という不安材料があるのは老化のためであり、それを補う健康長寿という政策が、じつは医療費問題や年金問題などの国家財政の大きな部分を占めていること、負担となっていること、それをマイナスとしてしか見ない政策では先の見通しも立たないのは当然であろう。

そこをプラスに転じるには、どうするのか。一気に痴呆化する前に適切な策を打たねばならない・・・とは思わないだろうか。

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