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普遍汎用の大元とは?

さまざまな技術の基礎とはなんだろうか。

学校をでてそこで「俺は何がしたいか、おれはなにができるか・・・。」なんてだれしも考えたに違いない。

たしかに大人になっていろいろな専門書を読むにしたがって、自分が凝り固まっていくのがよくわかった。つまり、ほかのことには興味も関心も示さないような脳幹の態度なのだ。これではよくない・・・。でも、負担をかけると効率性が低下する。おまえはどっちを選ぶ・・・、となる。

よく、迷ったときは困難な方を選べというが、それは負担だけが突出することかもしれない。リスクはどっちが大きいか明白だ。

でも、基本的な技術の基礎は、算数であり、理科であり、社会、国語、音楽、体育などだろう。それは中学、高校と進み数学、物理、化学、生物、文学、歴史、スポーツなどと名称は変わっても、同じ系統にある。

そういう下地でもって、上述のように「おれになにができるか、なにがしたいか」を考えることは、すごく大きな対象がすぐに目に浮かんだはずだ。いろいろなことができるのだ。胸弾むときでもある。

だが、すぐに「おれにできることはそうない。だいたい、採用されるには比較評価があるから・・・自信がない・・・」となるのだ。

でも、なにも先入観はないから、希望が通れば、それでその道に進める。だが、大人は違う。いままで何をやってきたのか、どんな成果を残してきたのか。そういうことがテーマになる。普遍的な能力がきわめてせまくなっているのに気付くのは、そんな時である。そして、汎用性も劣化してしまう。

結果、これしか・・・おれには・・・・できない・・・。となってしまうのがせいぜいだ。

ということは、まったく前進していない。

ひとが大人になることは、経験を通してその応用能力を培うことではなかったのか。こどものころは、とくに不得意ではなかったものが、まったく理解不能な分野になっていることに気がついて唖然としたことはないだろうか。

人生の中間点にはいって、このままずるずるという傾向に気がついても、それをいまさらなにをどうしようというのか「ウチノダンナはワケがわからない・・・」なんていうことも容易に想像できる。

やはり、こどもの頭の流動性が大事だ。普遍性もよくわかっている。汎用性もよくよく理解している。

だが、一度にできることはひとつであり、もし百個できても、それはひとつに絞るべきであるともいう。

さんすう、こくご、そしておんがくとたいいくだろうか。おれたちにとってほんとうにだいじなものはそうではないだろうか・・・。

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