まけることの意地・・・
敗戦は日本になにをもたらした。
民主主義と象徴天皇であろうか。
それとも「まけることの大切さ」であろうか。
少なくともみんな意地を貫くには、負けたことを認めずに自害するとか、投身することだというのが当時の常識であったに違いない。
まけたら、皆殺しだ・・・と、いわれていたとおふくろから聞いたことがあるのだ。
でも、今おもうのは、まけることへの認識である。なぜ負けたのか。そこに理がなかったのではないか。
脇差を二本もちあるくのは、武士の常だった。侮辱されたら、その場で意地を貫きとおすとというのが常識だったのだ。
ふつうの通りをそんな二本差しのあぶないひとたちが同時に通行していたのだ。
いつも拳銃を腰に下げた西部劇よりも恐いイメージではないか。
それでもまけてのうのうとして生きている日本である。
世の中はどう変わったのだろうか。
良くなっているのか、逆か。どっちだろうか。
だが、意地はある。
国家としての意地と、国民としての意地がある。
近隣諸国との国際協力は欠かせないものだ。日本と日本人は、軍事力を持ち、それを海外で展開する代わりに、途上国との交流を通して、その悔しさをかみしめて生きてきた戦後だと私は想う。
それらは、やはりひとのため・・・ということが、最近、浸透してきているのは、負けたことへの意地が変形しているのかもしれない・・・。
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