説得するちから
野党のちからは、与党に対して多面的に攻撃を加えてぎゃふんと言わせることではないのか。
万年野党時代は、そこにすごい勢いがあった。それなりに党の生命線をしっかりと抱えたノウハウがあったように想う。だが、一度政権について、その責任の重さに震えると、野党としての迫力がまったくなくなってしまった。
それが、他の野党にも乗り移り、主導権争いという軸に与党対策からずれてしまっているようだ。
いかに与党にすりよるか。これが、野党の今の命題なら、なんとも説得力のない政治家集団になってしまったのかと嘆かないわけにはいかないのだ。
お笑い集団は、いっときまえはなんとバカをいってひとをわらわせて生活していこうというのがおかしいのだ・・・と、憤慨するも、独り息子の行く末を心配する親御さんが多かったのだ。だが、いまは政治家の息子の一元一句を不安視し、世襲の息子は親の政治家の古臭いやり方に辟易しているのでもなく、そこにすがりついているようだ。
説得するちからってなんだ。
言論の自由はなぜ必要なのだ。
どんどんと自由を奪われる口実を与えて法律化しているのはなぜだ。
どうもなんでもかんでも、説き伏せるには力づくでということではなさそうだが、どこに焦点をあてていけばいいのだろうか。
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