水俣の重要性とその仕組みを見誤っている環境相?
所用で欠席らしい。
水俣病という一大公害事件、環境悪化の権化とでもいえる悲惨な事件の追悼式典の重要性を見誤っているのではないか。
政治家ならば、そのメカニズムが、原発事故にも、核実験の悲惨な現実にも相通じていることを意識していなけられば、嗤い物になろう。
知らぬ存ぜぬでは通じない。
それは、新しいものが理解しやすいのだが、過去の過ちの悲惨さに目を向けてこれからに立ち向かうという姿勢が必要ではないのか。
消極的な姿勢に、なぜかがっかりしてしまう。
一度、国民の期待を背にした政治家が、これはだめだな・・・と烙印を押されるには、いくつかの理由がある。
それは、真剣じゃないな・・・と見透かされてしまうことにある。
バカでもいい。政治家はやはり熱意ではないか。もちろん賢いに越したことはないが、了見の通じるという腹積もりがないといけないだろう。
サテアン?
なんだっけ?
そのテレビの印象が、またでてきたようだ。
どうも腑に落ちない環境相の行動についてのニュースだ。
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