日本を滅ぼすにはタイムマシンで敗戦時まで戻すことだ・・・
日本が敗戦して米国の腹次第では、その傘下に収められたか、ロシア、中国、欧州などの分割領土となり、その国民は分散消滅していたと、容易に想像できる。
だが、他民族を配下におさめて自国民のしもべにしようとする試みは、成功しない。そう米国政府は過去に学んでいたのだ。
南アのマンデラ氏の前にアパルトヘイトを直視していたのは、米国であり、奴隷解放という大きな出来事をやってのけた。だが、貧困はそれだけが原因ではない。
やる気、生きる気持ち、国家の未来への希望と人類の夢がなければ、人間は生きてはいけない。
他の国家を支配するというのは並大抵のことではないし、なんら自国民に得とはならないのだ。
それが、今の日本を自由主義国家へと変貌させてきた論理なのだと私は想う。
もしも、中国や韓国が抗日をその主張として言い張るならば、どういう世界を望んでいるのだろうか。
石を投げてあてつける対象が消えたら、どうするのだろうか。それでも、配下に従えて、さらに罵倒し続けて、石を投げ続けるのだろうか。死に至らしめて、懲らしめるのが、生きがいなのだろうか。
それが、国家としての正義だというのだろうか。
そうではない。やる気とは、自立を持続していくための原動力である。そこに、他者依存の原則を出すこと自体がおかしいのだと、なぜ気付かないのか?
なぜだ?
一度、敗戦時の日本をどう扱うか、シミュレーションしてみてはどうだ。歴史認識というよりも、他民族を支配しようという覇権主義そのものが、嗤いものになると私は想うのだがどうだろうか。
戦をしてきたのは、仕掛けたものがいるからであり、売られた喧嘩を買うというのは、日本だけではなく、世界共通の喜怒哀楽などの感情に起因するもののようである。
その結果として、日本は負けた。全国民が自決する覚悟だったと亡き両親に聞いたことがある。
でも、やる気のないひと、民族をコントロールするのは、その国家の重荷でしかない。結果として民族をせん滅させてしまう愚を犯すことになり、極めて大切な人類の宝、多様性という特徴を自ら捨て去ることになってしまうのだ。
日本を滅ぼすのは、とても容易だったが、米国の判断は一番難題だという答えだったのだろう。
今は、それが正解だと、私も想う。
中国と韓国は、そのシミュレーションゲームで、どれを正解とすれば気がすむと言うのだろうか。誤った、邪念いっぱいの答えを、やはり正しい、正義だと言い張るつもりだろうか。
選択肢は、このシミュレーションではいくつもある。
友好、対話などの、選択肢もそこにはあるのだが、目に入らないだろうか。数年後、数十年後にどういうイメージをもてるか、ひとの想像力、創造性はすごいものなんだってことを、忘れないことが大事だと、私はこころから想うのだ・・・。
« コロコロってなんだっけ? | トップページ | アサギマダラ »
「心と体」カテゴリの記事
- 分かり易い文章(2019.02.09)
- 片べりの靴の教えてくれるもの(2019.02.04)
- 年齢に比例するもの・・・(2019.02.02)
- 散歩仲間?(2019.01.07)
- 本音と建て前(2018.11.19)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント