増と減; 国民負担
国家財政に責任があるのは、だれだ・・・。
毎年、蓄積される赤字予算を計上しているのが許されるのだろうか。
たしかに、国家は破産しないというが、そうでもない。
国家の破産とは、無法地帯と化すことであろう。
なんのメリットもない集団、そういう位置づけになるのではないか。
とすると、国家はもう崩壊する。
税金の増額と減額はどうなる。負担は変わらないということではなく、全体としての増額が望ましいということだろうか。
税金問題は、選挙に密接に結びつく。政治のかなめなのだ。
だから、多数派への媚びがどうしtも働くらしい。多額の納税者への媚びも同様だ。
増減をどうコントロールするかが、政治家の生命線になる。
国民負担はどうなる。国債はもう一千兆円という大枠を超えている。大きな債務だ。こんな国は世界にない。日本だけなのだ。
平気でいいのか。
返済しなくていいのか。国家だからいいのか。
大きな負担を抱えて、それを乗り越える必要もないと説く経済学者や、政治家がいるのは、なんとも情けない限りだ。
国家は決めたものでもなんでもご破算にできる・・・ということのようだが、それは信義を欠く国家のことでしかない。日本はそんな国家ではない・・・。
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