悪役を演じること・・・
悪い奴がいないと、この世の中は回らない。
みんなが正義の味方ではつまらない。
だから、その程度は別にして、みんな敵役と正義の役を使い分けている。
ほんとうに悪いやつが中にはいる。
そんな時、これは演出だとは言えなくなる。そこで悲劇が起きる。
これはオフレコだよ・・・っていっても、失言は非難されることになる。
悪気がないために、そのいいわけもしどろもどろになって、さらに窮地に追い込まれてしまうのだ。
ところが、最初から、その役を理解してかかれば、なんともみんなあっけらかんとして問題にもしない。
自民党をぶっ壊す・・・と言い放ったのは、小泉元総理だ。
だれも、このひとはしっかりと組み立ててかかってくるから、そこにいわゆる失言というものはないとおもいちがいしている。
このひとが言うなら、なにかある・・・となるらしい。
公的な仕事では、如何に正義を貫こうとも、反対者はいる。だから、その視点からは、悪い奴になっているのだ。与野党ということを見ればわかるだろう。
国民のための政治をみんなが行っているはずなのに、与党の案に野党は反対することが多い。その逆もある。
それは、立場によっていろいろな役割を演じているだけなのだ。
いい方を変えれば、ボールを投げるひととうける人、または打つ人、守備のひと、攻撃するヒトなどと配役はある。観客という役割もある。
悪役を演じる。それは、おのれの立ち位置を見極めて行動することである。もちろん、自分の意思でよいことを進めるのだが、反対者からみれば、敵であり、悪役でしかないのだ。
へたに信念をまげる必要はない。
鯨類の捕獲は人道的ではないと非難される。それは悲しいことだと、伝統文化としてその漁法を引き継いでいる漁業者は主張する。当然のことなのだ。ちゃんとその食べ物としての意義をわきまえて、自然の恵みのひとつとして感謝していただいているわけである。
いきることは、捕食者(狩人)と被捕食者(獲物)の関係が常につきまとうことであり、家畜となっている状況は、その進化した姿である。
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