悩み
なんと贅沢なこと・・・。
そんな嫌味を言われそうだ。
あんた、いろんなことを悩んでいるなんて、なんとうらやましいことか。
そんな言葉を投げかけられそうな気がする。たしかに、そうだ。
悩めることって、すごいことだ。
問題を認識して、それについてなにかを考えているってことなのだ。
そのためには、第一に自己認識がなければ、悩みは把握できないはずだ。
どうも、そうらしい。
基本的な機能としてひとが生きていないと、できないのだ。
脳細胞がふつうに活動していないとできない。
一部の神経系統がトラブルを起こせば、そこでそういう課題がまず見つからないのだ。認識できないことをどうやっても悩みにでっちあげることはできないのだ。
でもできるならば、もうひとつヒエラルキーをあげて考える能力を保有してみたいものだ。
これでは当たり前すぎるではないか。
こんな悩みはなやむに値しないなんて、いわれそうだ・・・。
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