勝利と一番になることのちがい
勝つことへの執念が一番になるためには必要だ・・・ともいう。
そして、勝つためには、弱い相手を選ぶとか、低い目標設定で対応なんていうこともある。
だが、一番になるには、おのれに勝つ必要がある。
そこに価値のちがいがある。
羽生選手の金メダルは、おのれに挑戦し、社会へ貢献するという挑戦の過程であるように想われる。そこにはおのれの中にあるまだ達成していないものへの憧れがあるように想うのだ。
一方、葛西選手の銀メダルはどうだろうか。
おのれに勝ち続けてきた力が花開いたというように私には見える。だから、そこには勝利というものと一番というもののちがいがはっきりと見えるのだ。
沙羅選手の場合、羽生選手とよく似ている心理であろうか。挑戦ということ、技術を磨くということ、精神を磨くということが、そこにはっきりと見えるのがいい。スポーツ選手は勉学がおろそかになる傾向があるのは当然だが、沙羅選手は、独自の方法で対処しているという。4カ月で高校を終えた・・・という。それは目標があるから・・・だというのだ。
私たちは勝利と一番になることのちがいをあまり意識する必要はないものの、ときにはなにがなくとも身一つあればできること、それは考えることなのだが、そんなことをやってみてはどうだろうか。
ソチ五輪はいろいろな話しがある・・・。日本の総理が北方領土のため、平和条約の締結のためのひとつの努力をしていたし、それに対応して中国の習主席がプーチン大統領と会談したりと忙しい。だが、日本選手団無視とか、同じ開会式の場で顔もあわせないという演出もなんとも、この世の稚拙さ、危うさ、こころの狭さを感じさせてくれた。
日本だけが、ヤクザの仁義の国や社会かと思ったが、どうもどこでも嫌がらせとかいじめとかいう手法は不可欠のようである。相手を如何にして追いつめるか・・・それが国際的な課題だということが実態のようである。
ソチ五輪は、後半戦に入った。とりあえず、日本選手団の活躍を期待しよう。勝利か一番かどっちも欲しいのが、応援するものの望みでもある。
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