メダルとは・・・
オリンピックのメダルとはなんだろうか。
それは、はっきりといって目指すものだろう。
そこに参加して感じることはすばらしいことだろう。
そして、そこでメダルをとることは、またすごいことでもある。
だが、そこに至るプロセスはいつも同じだ。やることをやるだけ、いつも通りにである。
その結果、メダルに届くかどうかはその場での条件もある。自然条件の変化の中で、世界の天才たちが競いあうのだから、その微妙なことはだれもが理解できることである。
だが、そういう自然条件をいかに公平にしていくかという課題は、競技の場を準備し提供する側の大きな責任でもある。
どっちかに有利になるようにルールを変えるなんていうことも、ジャンプ競技ではあったようにも想う。一方が勝ちすぎるということを是正する・・・。そして、ある国のジャンプ陣は勝利から遠ざかったことがある。もう、どうなのだろうか十数年を経過してワールドカップなどでは差がなくなってきている。
日本チームはメダルをようやく2個獲得した。偉いことだ。
だが、いくつかのメダルは懐からこぼれおちてしまった。そういうことはルールそのものを受け入れて臨んだことなのだから、まったく議論の対象にはしないが・・・。ただ、事前の評価で金メダル候補と目された選手たちがいて、その多くがその望みを断たれてしまってもいる。
そういう選手を見ると、すごいなあ・・・と私は想う。
安定した力を発揮することが、挑戦者の一発勝負という賭けの前で砕け散ることもあるし、それはスポーツのだいご味であろう。
沙羅選手に私は「メダル」をあげたい。
奈央選手にも同じだ。
そして加藤、長島選手にも同様だ。
その戦う姿が美しいと想う、いつまでもそういうこころをもって欲しい。
予想はそれでよい。結果はそれでよい・・・。
日本国民はみんなが楽しんでいる。とれるかどうか・・・。そこにもすっごいものがある。
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