会社にも社会にもなにもしないおじさんたちがいる・・・わけ?
若いときには、ゆめと希望がある。
だが、まだまだ人生は長いとみんな想ってもいるし、いや、そんなことはない。人生は短いというひともいる。
現実に人生は半分を終わると、そこでの位置づけがわかる。
だから、前半を戦い終えると、そこで満足したり、不満に想ったり、新たな発想で生きようとかも想ったりするのだ。
後半戦をどうするか?
これは大きな決断が必要だ。
新しい挑戦と安易に口にすることはできても、行動するのは難しい。いろいろな付帯条件があるのだ。家庭もあるし、そこにはまだまだいろいろな責任がある。いや、人生の前半で背負ったものがいっぱいある。そこで後半戦にそなえるには、どうする。
それは、やはりそこであきらめて日々の生活を繰り返すという作業もある。そんなところが何もしないおじさんたちという印象を与えるのだろう。
だが、ほんとうはそうだろうか。
リスクを考慮すれば、前半戦でなれた道を歩くことが安全であることはみんな分かっている。だから、リスクを冒すだけの理由がないと、後半戦で別の種目に挑戦することはない。
新たな種目があるらしい・・・という情報を得たらどうする。挑戦したいという気持ちが抜けないならどうする。どうしても、やりたいとなったらどうする。
前半戦でやりたいことをあの種目でやり遂げていると感じたらどうする。
そんなこんなで、タイトルのような状況があるってことを、みんなよく理解してほしいものだ。
ちなみに私は人生を約20年ごとに区分して生きるのがいいのではないかと、考えている。
はたちまでは、学ぶ。それから40代前半までは働くことを学ぶ。そして、また別の種目に挑戦することを学ぶ。それから60代前半に、自分で日々を社会への貢献のための仕事を探すことにさく。それから、できるところまで20年区切りとはいかないだろうから、5年でも、10年でも、1年でも、2年でも、また半年でもいいから、区分してやってみることだ。
一つ一つが挑戦になる、新たなチャレンジを探すのって、ほんとうに時間と労力がいるのだってことがわかるはずだ。
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