5才からのスケート人生
たしかにすべてをかけて、うちこんできたのだろう。
浅田真央選手の人生は、とても恵まれた才能のたまものである。
そして、じぶんの足でこれからの人生を切り開くための力をも得たのであろう。
そこにスポーツの目的があると私は想う。
いまでも東京オリンピックの興奮を忘れはしない。
まだ高校生だった。学校の卒業生が走り高跳びに出場するというので、学校の教室で観戦したのを覚えている。
そのあとのオリンピックの映画にも首を突き出してみていたのを思い出す。
スケートを続けるかどうか、それは選手自身が決めることだ。
周囲はそれを尊重することだ。
東京オリンピックといえば、その後の円谷選手(マラソン)のことが、なぜかにも想いだされる。父母に詫びるほどの苦しさだったのだ・・・。
スポーツは楽しむものだともいうが、苦しみでもある。
それはみんなが理解し認識しなければいけない。
2020年の東京オリンピックはどうなるのだろうか。
わたしは、ここにいるのだろうか。
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