本の中にあるもの・・・思索か思考か?
いつごろから本ができたのか。
紙ができて、字があって、それで表現する技術があって、また残す技術があってのことである。
結構、難しい。
だって、自分ひとりでこれらの作業をすべてやろうとしたら、大変なことだ。
それは文化遺産になるものだ。
無形文化財というカテゴリーだろうか。
それとも、中身ではなく、本そのものならば、有形である。
だが、私たちの文化や伝統というものは、先人たちの知恵と思索や思考の結果なのだ。
大きな発見をしたひとたちもいる。
この世の中で、自然界の法則を見出した人たちだ。
その大元は、細胞の性質にあるように想う。
ひとはそういう細胞の塊であり、結果である。だとすれば、それは何らかの刺激によって再活性化すると言えようか。
多能性幹細胞の素をいっぱいもっているのだ。
その可能性は、日々の疲労でゼロになっているとも言えるし、そんな希望も消失しているとも言える。
本を眺めていると、どうもうれしくなる・・・。なぜだろうか。だれかが考えたものだからだと想うのだ。
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