ひとのパワーは蓄えられるもの
いつもいつでもどこでも頑張っているひともいる。
どこで手抜きをしているのか。
だって、蓄えたものは、使えばなくなる。
ひとの一生もそうだ。
どんな人生だろうとも、そこで自分なりに考えたなら、その蓄えがきっと、実を結びたがるときがくる。
人真似でないジンセイとはいいものではないか。
だが、一握りのほんとちょっとのひとだけしか、そんなことはできない。
おのれの境遇を批判することはない。
そう簡単にやれているなら、それは特殊な才能なのだ。
ただ、私ら一般のひとは、みな凡人で平凡が一番だと・・・想ってもいる。
だが、特別なばあいは、きっと選ばれたひとなのだろう。
ゆめをいつもみているひとや、なにもしないでいるひとも、きっとなにかを悩んだり、悲しんだり、嬉しかったり、楽しかったりするときがあるはずだ。
だが、平凡でもいい・・・。そう私は想う。
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