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良心の呵責ということ・・・社会の規律

悪人は親の目の前で悪いことはしない。

犯罪者は良心の呵責に耐えきれずに、白状する。

たしかにだれでも良心はもっている。だが、良心はなんともその保有者を弱虫にしてしまうという怖れがあるように解釈されてしまう。

飲む打つ買うという悪行が、この日本でも大物の素質というような言われ方をしていたのだ。妾の数人は男の甲斐性だとか、大物政治家は女好きだとか言われていたのだ。つまり、世の中がそんな評価を下していたのではなく、そういう人たちが、または取り巻きがおだててそんな風潮を創り出していたのだ。要は茶番だ。

もしも、悪事を働いてしまったら、どうする。良心の呵責に苦しむだろう。死んでも死にきれないという気持ちになるだろう。

仮に死刑囚になる前の状況での心理状態はどうなのだろうか。警察で有能な刑事に悪態をつかれて、精神的に参ってしまい、それならやったことなのかもしれない・・・、いまの苦境から抜け出したい・・・、そんな心理的なワナにかかって自白してしてしまう。

たしかにそういうストーリーはあるだろう。

社会の規律もそうだろう。俺一人ぐらい、なんともなかろう・・・。これがみんなの想う真の気持ちだったらどうなる。社会は混乱する。だれもそんな規律は守らないのだから、俺が守ってもなんの役にもたたないし、逆に村八分になってたたかれてしまう・・・。そんな状況が社会をおかしな方向へと向かわせてしまうのだ。

公私混同。私利をむさぼることで、富を得るイメージはここのところちっともなかったのだが、費用対利益なんていうことばで状況は変わる。経済知識のひとつになったのだ。コストを省くことで利益がでる。

そこににせものがでる。応分のコストを払わないものが、他者のアイデアを盗み取って、大手をふっている。膨大な利益をあげて、経営者は時代の寵児と社会の称賛を浴びているなんていう図式だ。

これでは、砂上の楼閣だ。

やはり、必要な基本をみっちりと積んで、その仕事を好きだというものたちが、横綱になる。新横綱の角竜関は、そんな雰囲気をはらんでいるきがする。ひょうひょうとしていて、日本人よりも日本的な気がする。

そういえば、三年前の5月に東日本の災害ボランティアにいったときも、外国のひとたちが大勢いて、とくにペルーの日系の若者が、仕事がなくなってしまったので、ボランティアになったといっていた、そのひとが、日本のちょっと前の若者たちのように、ひとの目をきにすることなく、陰ひなたなしに黙々と働いていたことを想いだす。

そこには、ひとの良心というものが、自然におもてに現れているすがすがしい気持ちを誘い出してくれていたのだ。

まだまだ捨てたものではないか・・・。そんな気持ちになってきた・・・。

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