老化指数とは若さの尺度だ
なんでも数値で表す世の中だ。
老化度も指数で表せるのではないか。
身長と体重でのBMIはみなよく知られているものである。
老化指数の因子はなにが適切だと想うか。
肌のいろか?
やはり身長の収縮度とかか?
体重の変化か?
目の輝き度だろうか?
体臭だろうか?
体形だろうか?
コミュニケーション能力の変化だろうか?
気遣いだろうか?
計算力だろうか?
若い時にできていたことができなくなる。
あんなにいろいろなことがアクロバットのようにできていたことが、いまは歩く、観る、聞く、答えるという基本的なことに限定されてきているのではないか。
そうだ、行動範囲なんていうのはどうだろうか。
認知症になって、ときどき記憶がとんでも、ひとはどっかへ行きたいという願望があるようだ。意識下にあるものの存在だろうか。
老化によってもたらされるひとの行動は、個々にとってはまったく新しい発見ではないだろうか。
それは広大な宇宙空間へと投げ出されていくようなものかもしれない。
無へ向かう行進なのかもしれない。
ということは老化指数とは、無と有との間の変数として表わされる何物かなのではないか。生きている度合いということか。それとも死んでいる度合いという方がいいのか。
どんなスケールを使おうと、私たちは生まれてからずっと、その尺度の上で動いているのだ。改めてどうのこうとということではなさそうだ。
老化指数とは、若さという尺度のうえに築かれているもののようだと私は想う。
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