日本のほとんどの女性は正論を心情としてもっている・・・
息子がいった。うちのかあさんはすごい。
ここにすべてがある。
だが、とうさんはすごいとはいわなかった。
それでいいのだ。
わたしもそう思っていたのだ。ずばりそのものだった。
ついついおやじは競争相手ではないものの、お手本のような存在で、まずはそこを目指して超えるということがひとつにはある。
そういうものではないのだが、そこに葛藤がある。
だから、家庭では日本男性は低い位置づけに甘んじているのだ。いつから、男女共学以来っていうことだろう。もちろん先生は断然、女のひとが多いし、同じクラスの女生徒の方が活発で意見も正々堂々としていた。
おとこはどうも、力の発揮方法をあまり会得していなかったのかもしれない。だから、社会になれていない組織や会社ニンゲンになってしまう。
そして、家庭での理解や認識とはかけ離れたものが、社会という会社の中や仕事上の環境ではでてくるらしい。しごとでは女性に負けはしない・・・というはりあう気持ちが少しはいつもあるのだ。
だが、それは国際的に批判されるようなものではない。
いまの日本は冗談やきついジョークを理解しない。腹をわって話そうということならよいのだが、それも難しい。過渡期ってやつだろうか。
男女同権、男女平等、戦後一貫している方針だ。
それでも、明治、大正、昭和という時代は、江戸時代からの繋がりがある。いまでも、士農工商とか貴族、お公家様という観念はある。ヒトの品位というものらしい。
そこに卑下する心理があるのだ。
そういうものを不思議だと想うことはない。みんな葛藤の中から回答を探してきているのだ。
ヒトの幸せを願う宗教が、対立する。そこからテロが生まれる。他の宗教や、宗派の者たちを卑下し、差別し、仲間とはしない。そこに問題がある。
人種差別や、宗教対立というものが、やはりいつの世の中でも消え去ることはないのかもしれない。
貧富の格差が貧困問題の大きな原因だという。みんな理解している。だが、そのイデオロギーが破綻してしまっている現状がある。
みんなで共有する資産で平等な生活を保証する・・・。なんと素晴らしいのか。こどもごころにそう想った。だが、現実はなぜか一部の特権階級が資産をかき集められるらしいのだ。
武力と対話。このちがいかもしれない。
正論では立ち向かえないという現実があるから、そこでひとつの想いがいつまでも残るのではないか。正論を正論として根付かせるには、大きな努力が必要のようだ。
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