知らなかった言葉をみつける・・・
マネーピット。知らなかった。
コンコルドの誤り。知らなかった。でもなんとなくわかる気がする。
後には引けないっていう状況のことだろう。
ジャパンのヘルメットと揶揄されていたのは、新国立競技場のザハさんのデザインだけではなく、その建設予算の異常さにある。
構造はたしかに斬新だろう。
建築業界では、意匠の先生と構造の先生はまったく違う仕事をしている。
構造がなければ、詳しい見積もりはでてこない。
アイデア倒れの空想とは言わないが、500億でできていたものが、大盤振る舞いで1300億円とされ、未曽有の施設というような雰囲気で舞い上がっていたら、なんとその倍以上の見積もりの3000億円が現れた。
これでは・・・と、コスト削減に乗り出すも、2520億円で開閉装置の屋根はあとで取り付けるとスペックから外し、可動式観客席も簡易式で省略し、コスト削減に努力しましたというポーズを見せた。
小手先の対応には慣れっこの日本政府はどうしたか。
国民の声ならば仕方なしと・・・、なんとも変な理屈で、もともとあのヘルメットのデザインは好きではなかったともいう。
この変わり身は、いつの時代からのものか。
日本文化の中にあったか。
戦争へは突入するも、途中で変わり身はできない。
いつも弱い者のほうへと仕向けられてしまう外交対話のへたな国民性があるからだ。
へっぴり腰といわれ、いろんな可能性があると高笑いもする。
だが、いろんな可能性とはどういう意味かというと、それは何もできない架空の世界の空想というレベルのことだ。
QCDで苦しむのはいつものことだ。
だれも品質という要求レベルの正当性を考えもせずにコストだけを見て驚き、納期のせいにして責任をうやむやにしてしまう。
安全法制をようやく衆院通過で60日の附せんも敷いたので、ではよっこいしょということのようだ。
問題は山積している。
どうする。
この日本に二大政党は誕生しない。いつも一強独裁のような政権では、この先が思いやられる。
だれのためのものか・・・、政治とか社会とか国家はなんのためにあるのか。
もう一度、よく考えてみなければいけない。
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