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瑕疵責任と技術者倫理

しっかりとやってもいろいろな条件が変化する場合がある。

だから、そこに私たちは安全率というアローワンスを設けているのだ。

企画から、設計、そして施工、その監理を含めて、多様かつ複雑な自然条件に対しての対処に緻密な検討を加えても、なかなか万全ということはない。

建築基準とか、環境基準とか、社会の動向、国際的な技術動向や倫理動向にも目を向けてひとりひとりの技術者は対処しているのだ。

そして、技術倫理とともに、その工事種のプロとしての自覚を持つには、それぞれの哲学に基づくノウハウがある。それをエンジニアはプロとしての誇りにして仕事をしている。

それでも、数年後の瑕疵検査ではいろいろなことが表面にでてくる。

設計が甘かったのか、契約の条件が検討不足だったのか、それとも施工上の不具合か、施工監理に落ち度があったのかなど・・・いろいろなことが頭を錯綜する。

もちろんエターナルトライアングルのQCDをクリアしていくことは企業として、また技術者としては当然のことである。だが、それでも一人で仕事をしているわけではない。そこにいろいろな偽装事件の難しさがある。故意でなければ起きない不祥事ということが多いのはなぜか。

情報の共有ということ、技術的な進捗状況とか様々な事態への代替案というものへの考え方、設計変更、施工方法の変更なども、十二分に柔軟にやらねばならないときもある。

こういう事態で大切なのは、品質第一ということだ。そしてそれを獲得する上でのプロセスを重視することであり、そのための情報共有なのだ。その際に事実はそのまま事実として受け入れること、そこでもし迷うならば、そのため意思決定ができなければ、人間性を重要な判断基準として、そこにかぶせてみることだ。

技術倫理や顧客第一という企業の宣言も、ひととしてどうなのかということに最後はかかってくるのだと私は考えている。倫理とは、正しいことだけに目をむけることだと思いこまれているが、正邪の判断、善悪の判断など、同じものさしの上での良いことと悪いことのせめぎあいでもあるのだ。

悪いこと、マイナスの極端な部分での変動しかできないのなら、それは倫理ではないのではあるが、難しいのは社会情勢とか、国際動向がうまく回っておらず戦禍にあり、殺戮が横行している状況では、その判断はまた、迷路に入り込んでします。

そのかじ取りを抑えるのは、父や母のやさしさではないか。そのまなざしをそんな状況に陥って気がめいったら、思い出すことだ。

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