フィリッピンの台風災害に思う・・・
このごろ、日本に襲来する台風のことばかりが気になっていて、南方海上に台風が発生というニュースが流れると、すぐにこっちへは来ないでくれと願ってしまう。
どうも気候変動という国際問題から、地球温暖化とか、異常気象とか叫ばれているのだが、台風の勢力が巨大化している、つまり南方海上の海水温などが高くなり大きなエネルギーを蓄えているということのようだ。
地球はでっかい。海はひろい。空は無限だ。そんな風に考えることは、今やもうできなくなっている。
原発ひとつ100万キロワットが事故をおこせば地球のほとんどがあるレベルの放射能汚染をこうむるのだ。それが、戦争で核爆弾が数百発から数万発も放たれたら、どうなるか。
地球環境は、壊滅する。
とても脆弱なのだ。
自然災害は仕方のないもの、つまり自然の当たり前の営みであり、大海の真ん中のだれも住んでいない水域でできた海底火山の爆発での島嶼の隆起なんかは、だれも人的には被害をうけない。家屋の崩壊もない。人的な損害もない。
だが、それもそこにもともと生息していただろう海洋生物は、ちゃんと被害をうけて絶滅しているはずだ。いつの間にか、よそから流れ着いた生物がまた、そこで生息しはじめるのは数千年から数万年程度でそう長くはかからない・・・ってことのようだ。
だから、ひとが台風で被害をうけるのは、そこに暮らしをしているからであり、台風が去り、破壊していくとしても、またそこで再び生活をつくるというシナリオであるはずだ。
それでも、面倒である。いっそ、海岸付近は住む場所ではないと法律でもつくってもらえればとも思うのだが、暮らしには海辺や山や川の付近がとても心地いいのだ。
フィリッピンにそれた台風は、なにか自分勝手なことばかりでその地に住む人々に悪いなと思うのだが、それは、その土地それぞれの暮らしのここち良さがあるからなのだと、この頃気づかされた。
ただ、いのちはどこでもどんな災害があろうとも、日本でもフィリッピンでも、その他世界中の国々で大事にしていくことを、徹底していく必要があると私は考えている。へこたれるなかの地のひとたちよ・・・。
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